PART2 祝 テクニプラスト創立60周年:1949 - 2009
ユーザーの声に耳を傾けながら発展を育んで来ました
前回のNo.31(2009年夏季号)で、Carlo BernardiniがTecniplastの創立から最初のポリカーボネート製げっ歯類用ケージが生まれるまでの、Tecniplastの創業時代をご案内しました。今回は、Pletro Bernardiniが1970年代と1980年代との間においてTecniplastがどのように発展し拡大していったかをお話しいたします。Pletroと弟のAlessandroはともにこの時期の後半に生産に携わる“見習い”として参画し、ときには雑用も行いました。これもまたCarlo Bernardiniのビジネスへの取り組みと企業家精神を表していました。1970年代は国内市場におけるTecniplastの存在を確固たるものにし、輸出部門においてもドイツ、スカンジナビア、そして英国へ進出する手がかりを作ることに注力されました。 これと平行して、諸研究施設に対して、まったく独自の新製品を供給するために懸命に努力してまいりました。1972年に、初期の代謝ケージが考案・開発・製造されました。これは合計31種の抜き型と鋳型を必要とするため、先見性と勇気を求められる巨大な投資ではありましたが、結果は成功でした。
代謝ケージは今も製造され世界中で販売され(そしてコピーされ)ています。同じ年の1972年には大型のラット用ケージ(300g 8匹)を発表しました。このケージは業界のスタンダードとなり、今も製造されています。これらの製品は両方ともTecniplastが成功するためのもう1つの鍵を象徴しています。すなわち、ユーザーの声に耳を傾け、その熱い要望を製品に作り上げることが私たちの真のミッションであるという認識です。
こうした市場と製品バリエーションの両方での拡大に対応して成長を続けるため、会社は施設を拡充し、1975年には金属加工事業(ワイヤーおよび板金加工)を始めるなど、物理的に拡張する必要にせまられました。1970年代の終わりにさしかかった1978年にはTecniplastは大西洋を渡り、ニューヨークで行われたAALASの展示会に参加しました。同時にTecniplastの製品を北米で販売するために地区のディーラーとの契約を締結しました。
1980年代には製品バリエーションとマーケット拡大の両方においてさらなる拡張がありました。“新世代”への到来は最先端の成形機器を使い、世界規模のTecniplast製品への高まる需要に対応するため、製造過程での最初のロボットの導入となりました。したがって、テクニプラストの初期は土地を準備して種を蒔く時代でしたが、私が勤めた期間はその成長を育む期間でした。我々の重要な強みは、相当の資本投資と、新しい熟練した仲間を雇用する勇気でした。これによって競合他社が同じ土俵で戦うのが困難となりました。Tecniplastは競合他社とは違っていなければならず、それが私の世代へ手渡された“バトン”です。 2009年冬号に発行されるこのシリーズの第3版で私たちの60周年記念を締めくくります。次号では、Edoardo Bernardiniが、Tecniplast創設時の精神がいかに今も脈々と息づいているかについてお伝えします。
